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Kichi's Journal吉のワイン⽇記

2022/12/29

チリとチリワインの歴史

吉 Kichi

ワインを造り、世界中のワインについて学び、そしてワインをこよなく愛するキツネの吉だよ。
世界中のすばらしいワインをみんなに知って欲しいと思っているんだ!
このブログでは、ブドウやワインのこと、生産国や歴史について、僕が知っているちょっとした豆知識を紹介していくね。

ワインの醸造家
エキスパート

チリとチリワインの歴史は僕たちが思うよりも奥深くて面白い。チリの歴史と伝統が、チリワインの味わいを素晴らしいものにしたんだ。この記事では、チリワインがどのように誕生し、チリでどのように時間をかけて造られたかについて説明していくよ。

 The Founding of Santiago, by Pedro Lira (painted in1888 )

 

今日は、チリとチリワインの歴史を紐解いてみよう。

 

スペイン王国の探検家ペドロ・デ・バルディビアがチリを征服

口髭を生やし堂々とした体躯のペドロ・デ・バルディビアは、スペイン王国の探検家でチリの征服者だ。彼は1545年9月4日、羽ペンをインクに浸し、スペイン王チャールズ1世に宛てに手紙を書いた。この手紙には、5年前にペルー総督府の征服者であるフランシスコ・ピサロと別れてからの、バルディビアの苦難の道のりが切々と語られていたんだ。

広大なアタカマ砂漠を横断するのはただでさえ簡単なことではなかったのに、彼にはたった12人のスペイン人兵士と、ほんの一握りの捕虜となった原住民の助けしかなかったのだから、なおさら厳しいものだったことは間違いない。さらに悪いことに、アラウカノ族の反撃がアンデス山脈の山々よりも手ごわく立ちはだかっていたんだ。

でも前任者と代わって以来、バルディビアが沈黙を守ってきたこの年月は決して無駄ではなかった。数年前に同じような遠征を開始した征服者ディエゴ・デ・アルマグロの計画は失敗に終わったけれど、ペドロ・デ・バルディビアは王に、山と海に挟まれたこの狭い土地をさらに南へと突き進むことに成功したことを報告することができたんだから。

そして、神がこの地を創造したに違いないとも書き添えているよ。

先住民がチリと呼んでいた金もない険しい土地に、彼は自分の故郷スペインにちなんでヌエバ・エクストレマドゥーラという名前を付けた。

そして、チリがスペイン王室へ帰属したことを示すために、1541年、スペイン王カルロス1世と神聖ローマ皇帝カルロス5世の名の元に、サンティアゴの町を首都としたんだよ。

 

ペドロ・デ・バルディビアがスペイン王チャールズ1世にねだったのは「ブドウ」

 

50ページにも及ぶこの手紙の中で、ペドロ・デ・バルディビアは自分の軍事的な功績を得々と述べている。そして国王に対して、より多くの人員や物資、武器を送るよう依頼しているんだ。

さらにおもしろいのは、彼があることを国王に訴えていることだよ。

それは、ブドウの栽培に適したこの南米の地にブドウの苗木を植え、できればワインも作りたい、そして大量のワインで異教徒を伝道したい、というお願いだったんだ。

チャールズ1世はペドロ・デ・バルディヴィアの願いを聞き入れ、チリからペルー、コロンビア、そしてエルナン・コルテス(征服者)のメキシコに至るまでブドウの木を植え、スペイン帝国を完成させた。

そして、この時に植えられたブドウが、南米の一部ではクリオージャ、チリでは特にパイスとして知られるミッション・グレープなのさ。

パイスは、乾燥したチリの北部でも、寒くて湿気の多い南部でも、あらゆる種類の土壌や気象条件に驚くほどよく適応し、雑草のように生育するブドウだった。

そのパイスから造られる当時のワインは、現在のようなものではなく、チチャと呼ばれる発酵飲料だったんだよ。ワインとチチャの大きな違いは、チチャの方が発酵時間が短いってこと。また、チチャは通常のワインよりもはるかに甘い。

パイスによってチリではワインが大量に生産できるようになったけれど、ヨーロッパ諸国と比べれば、その過程は初歩的なものだったんだ。

 

近代チリワインの幕開け

その後3世紀にわたり、チリのワイン造りは初歩的で伝統的な手法を取り続けた。

つまり、洗練されていないワイン造りを地球の最も奥まった場所で細々と続けていたってことだね。1810年にスペインから独立した後も、チリのワイン造りは常に小規模でローカルなものだったんだ。

でも、状況は一変する。

19世紀になると、チリの裕福なエリートたちが、新たな栽培方法と洗練したワイン造りの技を知るために、世界中を旅するようになったんだ。

チリ人貴族たちはベル・エポックのパリのライフスタイルに魅了されて、フランスを訪れた。そして、旅の産物としてフランスのブドウ品種をチリに持ち帰るようになったんだよ。

やがて、メルロー、シャルドネ、カベルネ・ソーヴィニヨンなど、フランスの優れたブドウがチリですくすくと育っていったってわけ。

ヨーロッパがフィロキセラという防ぎようのない疫病に襲われたとき、チリだけが全世界で唯一、この悪夢から逃れた安全なブドウの楽園であり続けたことを紹介した、以前のブログ(ワインの宿敵フィロキセラについて)を思い出してみて。

 

チリワイン=トリプルB(Bueno-Bonito-Barato)

チリで今日のようなワイン産業が本格的に始まったのは、木製タンクに代わってステンレスタンクが導入され、工業的なワイン生産の最新技術が導入された1970年代。

何世紀にもわたって忘れ去られていたチリワインが、スーパーマーケットで見かけるようになったのはこれ以降なんだよ。

チリのワイナリーは、トリプルB(Bueno-Bonito-Barato-スペイン語で「良い、美しい、安い」の意)という平凡な言葉でワインをブランド化したんだ。

その結果、チリワインは飲みやすくて安価なテーブルワインを探している消費者の間で人気が高まった。

日曜日のロースト料理にも合うそれなりの赤もあったが、それ以上でも、それ以下でもない。

当然、僕たちは自分の身近な経験に従って世界を理解するよね。

だから、トリプルBのうたい文句で売られているチリワインを見慣れた消費者は、チリワインは美味いけど地味だって思うようになっても仕方がない。

もちろん、市場やマーケティングの犠牲になっている飲み手には罪はないよ。

世間の人はチリワインに関して言えば、「完璧」である必要はなく、「ほとほど」であればいいと信じ込まされているんだから。

不幸なことに、この認識は今日まで変わることなく定着している。

だからこそ僕は、チリワインがそれ以上のものであることを皆さんにお伝えしたいんだ。

 

チリワインのこれから

 

チリワインの世界では、今、素晴らしい革命が起こっているんだよ。

 

再発見されたカルメネール

フランスのアンペログラファー(ブドウ品質学者)であるクロード・ヴァレ氏が、チリのとあるメルローのぶどう畑を歩いていて、世紀の発見をしたのは1994年のことだった。

なんと、フィロキセラによって絶滅したと思われていたボルドーのブドウ、カルメネールが見つかったんだ!

このカルメネールは、1世紀以上もの間、誰にも知られることなくこっそりとメルローの仮面をかぶっていたんだよ。

そして数年後、カルメネールのワインが初めて売り出された。

カルメネールは、アンデス山脈の東隣にあるアルゼンチンのマルベックのように、チリを代表するブドウとなったんだ。

 

新しいことに挑戦し続けるチリワインの世界

今日、チリのワイン造りはかつてないほど刺激的なものになっている。

今までなら考えられないような緯度の土地に新しい品種を植え、前衛的なワイン造りの技術を導入する地元の生産者が増えているんだ。

例えば、イタリアのロマーノやネッビオーロといった、数十年前ならありえないとされていた品種を試しているワインメーカーがあるよ。

他にも、テロワールのような概念を取り入れたり、品種ごとに最適な栽培地を決めるために土壌の調査や分析に力を入れるなど、将来を見据えた取り組みを行うワインメーカーがいる。

その一方で、過去の知識を活かして自生的な方法で自然なワインを生産するワインメーカーもいるんだ。

現在のチリはいわばワインの実験場であり、わくわくするようなことが起きているスリリングな場所と言えるんじゃないかな。

カルメネールが思いがけず発見されたみたいに、チリのワイン界では次から次へとびっくりするようなことが起きるから、目を離さないようにしなくちゃね。

そう、このワイン造りの天国は、何世紀も世界から忘れられてきたことで逆に守られてきた。そして今、世界の表舞台に躍り出るべく、独自の道を歩んでいるんだ。